活動報告

伊藤達也新時代政経セミナー

6月10日大勢の方々にご参加賜り、伊藤達也新時代政経セミナーを大変盛大に開催させていただきました。誠に有難うございました。

第1部には、プロサッカーチームを調布に実現するために奔走した同志であり、スポーツジャーナリストとしてご活躍中の二宮清純先生をお迎えし、リーダーの素質についてのご講演を賜りました。

第2部では、ご来賓の方々から激励のご挨拶をいただきました。会場の皆さま方からいただいた温かいご指導、ご激励をはげみに、さらに懸命に努力してまいります。

以下、第1部二宮清純先生の講演の模様です。

「私の尊敬する人」

ご紹介にあずかりました二宮と申します。
本日はお招き頂きまして、本当にありがとうございました。

伊藤先生からこの話を承った時は勉強会ということだったものですから、もちろん少人数かと思っていましたら、これだけ大勢の方がということは、私も想像していなかったものですから、改めて伊藤達也先生のですね人気というものをまざまざと今日は知らしめられたというそんな思いがしております。

実はこの依頼を受けた時は新幹線の中でございまして、たまたまわたし大阪の方へ向かっている時にちょうど伊藤達也さんは後ろに座っていらっしゃいまして、久しぶりにお会いしたものですから、いやぁ実はこういうところで何だけど、勉強会がありまして来ていただけませんかということで、私にできることがあれば何でもさせていただきます。と、申し上げたわけです。

なぜかと申し上げますと、伊藤先生には僭越かもしれませんが、私あの、同士というような気持ちでございます。伊藤達也さんといいますと、金融再生プログラム、竹中大臣を補佐して、不良債権を処理して日本の経済を回復軌道に乗せたと、非常に経済界において評価の高い方であります。そのことは私の友人の木村剛さんから重々聞いております。本当は伊藤達也がぶれなかったからこの改革は成功したんだということを、私はもう耳にタコからイカができるくらいまで聞いております。しかしそれのみならず、実はスポーツ界において伊藤達也さんは非常に素晴らしい実績を残しております。

ちょうどJリーグが立ち上がった頃に、いわゆる学校と企業のスポーツから、これからは地域に移さなければいけないという、私はスポーツ界の大政奉還というふうに呼んでおるわけですが、一種のスポーツ界における革命的なものが始まりました。それまで日本のスポーツは、学校と企業を中心に行なわれてきました。これは世界にあまり例がございません。

これがうまくいっている時はよかったのですが、今は少子化です。東京はまだいいかもしれませんが、地方へいきますと、ほとんどスポーツのチームができない。野球も9人揃わない。あるいはサッカーも11人揃わない。加えて過疎化が追い討ちをかけております。学校の部活動が出来ないのが現状でございます。

第二に今まで企業がスポーツの中心になってきた。企業もその経済が悪化すると、どうしてもスポーツをまずリストラと称して廃部に追い込んでいく、都市対抗野球はその惨憺たる状況でございます。

それでいわゆる欧米流の地域密着型のスポーツクラブを作らなければいけない。学校と企業から、これからは地域と住民が主体となる新しいスポーツの運営スタイルを作っていかなければいけない、これを真っ先に国会議員において、私の知る限りにおいて実践されたのが伊藤さんであると思っております。FC東京なんかの立ち上げも伊藤さんがいなければできなかったのではないだろうか、まさしく地域密着型のスポーツクラブ作り、これに一番尽力されたと、まさにスポーツの危機を救った方と私は高い評価をさせていただいております。

そういいますと、よくいままで日本のスポーツは学校と企業できたではないか、うまくいくのか、と言われる方がいます。うまくいくいかないではなくて、これを実現しないことには日本のスポーツはないわけでございます。私に言わせると、江戸幕府が終わっても日本は続くんだ、いまやっていることは明治維新なんだと。江戸幕府が終わったらどうなりますかという問題ではないんです。

江戸幕府が潰れることとかそういう問題ではなくて、まさしく日本のスポーツをどうすればいいかということを考えた場合には、これは地域と住民が主体となる欧米流のスポーツクラブづくり、そしてそれを学校と企業がバックアップしていくという、新しいパラダイムをチェンジしていかなければいけない。それを一番スポーツ界の中で御理解されて、実践されている、まさにスポーツの味方それが伊藤先生だと私は認識しております。

さて、今日はスポーツの話をしろということなもんですから、私が尊敬する人間の話をさせていただきたいと思っております。私が尊敬してやまないスポーツ界のリーダーに、川淵三郎さんという方がいらっしゃいます。まさしくJリーグの生みの親でございます。現在はキャプテンと名乗っております。日本サッカー協会会長です。

なぜキャプテンかといいますと、実は私が命名させていただいたのですが、二年前食事をしている時にあの方はそれまでJリーグ理事長でした。チェアマン。今度会長になるんだ、何か良い横文字はないか、みんなに愛される何かチェアマンみたいのを考えてくれよ、と言うものですから、川淵さん今どういうものが候補に挙がっているんですかと尋ねました。いやプレジデントとか、ガバナがあるんだよ。プレジデントやガバナもいいけど、それもうアメリカでは10年前の明示ですよ。これからはキャプテンですよ、船長さん。荒波を越えていかなければいけない、舵取りひとつで組織の明暗が決まる、キャプテンシーの時代ですよ。しかも、『キャプテン翼』は子供に大人気ですよ。それはいいわ、やっぱ子供に好かれんといかんな。それでキャプテンになったといういきさつがあるんです。

この方、素晴らしいキャプテンシーの持ち主でありました。

1980年代に入りましてサッカーをプロ化しようという気運がみなぎってまいりました。そしてその1988年にはプロ化準備委員会というものが発足いたしました。私もメンバーの一人に加えていただきました。もちろん伊藤先生も中核のメンバーでございました。いわゆる今申し上げた、これからは地域主体のスポーツクラブを作ろうという運動が始まったわけでございます。

ところが、1990年代に入りまして、逆風が吹きました。小泉総理大臣風に言えば、抵抗勢力の出現ということになるでしょうか。ある会議であるサッカー協会の幹部が言いました。「サッカーのプロ化と言ってもなぁ、景気も悪くなってきたし、企業も金出さんぞ、時期尚早じゃないか」と言ったんですね。するともう一人の幹部が立ち上がってこう言いました。「そうだよ、日本にはプロ野球もあるし、サッカーが成功した例なんかないよ。前例がないことをやっても無理だよ。」こう言ったんです。“時期尚早”“前例がない”正直言いまして私は、この二つの言葉を聞いて、あぁ、これでサッカーのプロ化は難しくなったなぁ。今まで一生懸命議論してきたことは一体何だったのだろう、失った時間を返してもらいたいよ。正直言ってそういう気持ちでございました。

と、そのときいきなり立ち上がったのが川淵三郎さんです。川淵三郎さんがで、机をひとつドンと叩いてこう言いました。

「時期尚早と言う人間は、100年経っても時期尚早と言う。前例がないという人間は、200年経っても前例がないと言う」

と喝破したんですね。私は心の中で拍手しましたけども、でもこんなこと言っていいのか、と少々びっくりしたことも事実であります。川淵三郎さんは一切構わず続けました。

「そもそも、時期尚早という人間はやる気がないということなんだ。でも私にはやる気がありませんとは情けなくて言えないから時期尚早という言葉で誤魔化そうとするんだ。前例がないと言う人間は、私には能力がありませんということなんだ。でも私には能力がありませんとは恥ずかしくて言えないから、前例がないという言葉で逃げようとするんだ。だいたい仕事のできない人間を見てみろ、仕事に責任を持てない人間を見てみろ。できない理由ばっかり次から次へと考えてくるだろう」

こう言ったんです。いやぁすごいことを言うな、私はびっくりしました。仕事というものは、できないことをできるようにするのが仕事なんだよ。って怒鳴ったんですね。これが本当のリーダーシップというものなんだなと、私は本当に感動いたしました。

その一言がきっかけとなって、もう一回サッカーのプロ化に向かって頑張ってみようじゃないか、と再び気運がみなぎってきました。そして1992年の秋にはJリーグの公式戦、カップ戦がスタートいたしました。そして93年の春には、レギュラーシーズンがスタートしたわけであります。

歴史にif、もしという言葉は禁句です。時計の針を二度と元に戻すこともできません。でも、もし、川淵三郎さんがあの会議であの名演説をしなかったら、間違いなくこれサッカーのプロ化はできておりません。サッカーがプロ化できていないということはですね、当然Jリーグは誕生していないということでございます。Jリーグは誕生していないということはですね、日本代表があんなに強くなることもなかったということです。そして日本代表があんなに強くならなかったら、当然ですねワールドカップの誘致に成功することもなかったでしょう。ワールドカップの誘致に成功しなかったら、日本代表の決勝トーナメント進出、日本列島がサッカーの、あの大フィーバー熱狂に包まれた、これもすべてなかったということです。もっといいますと、2002年の6月といいますと、まだデフレ不況の真っ只中ですから電通総研の調べでは、確かですね3兆5000億円の経済効果があったといわれております。もちろんイコール投資効果というわけではございませんが、しかしあの頃にですね、あの薄型テレビとか家電製品ですか、プラズマテレビとかああゆうのが売れに売れてたと。これがデフレ脱却のひとつの糸口となったと、非常にサッカーが貢献したということは私はまぎれもない事実であると思います。そして何よりも、やっぱり子供たちがサッカーボールに親しむようになったと、文化としても成立した。これもあの川淵さんの演説がなければすべてはゼロだった。何も生まれなかった、と私は思っております。

そして私はそのとき考え方、変えました。結局プロジェクトというものは、四の五の言っても最後はトップが決断できるかどうかなんだと、責任者が退路を断ち切って勝負出来るかなんだと、リスクをとれるかどうかなんだと、多数決で決まるとか、あるいはそのコンセンサスで決まるっていうのは理想なんだけれどもプロジェクトはそんな生易しいもんじゃないと、最後はトップの決断次第だと、いうことを私、身をもってそのときに体験いたしました。

私は、なるべく物事を単純に考えるべきだという意見でございます。
何故かと申しますと私もいくつか、トトの配分ですとか、いろいろその政府系の審議会やらして頂いているわけですが、必ず物事がうまくいかなくなる時は各論ばっかりに重きが置かれて総論が見失われる。この国には小異を捨てて大同につく、という良い言葉があるにもかかわらず、小異ばっかりがクローズアップされて、大同が見失われる、そして最後は一体何の事やらわからなくなる。こういうことを何度も体験したものですから、私はもう方針が決まったらそれに従うべきです。そうしなければ、何も物事は進まない。やっぱり最後はリーダーシップだ、ということを強く自覚いたしました。

そして私は21世紀のリーダーには次の三つの資質が必要だという結論に至りました。

ではその21世紀のリーダーに必要な三つの資質とは一体何か?

私はまず第一にパッションだと思いました。パッション。情熱です。熱意です。
川淵三郎さんには触ったら火傷をするような熱い情熱があった。「時期尚早という人間は百年たっても時期尚早」と。「前例がないという人間は二百年たっても前例がないと言う」と言ってですね、自らもう刀を抜いて、敵と切り結ぶような、そういう熱いハートがあった。私たちはその演説を聞いて、もう、この人についていこうという気になりました。若手もそれでついていった。これもう、理屈ではない。情熱がない人に人はついてこない。まず第一に私はパッションだと思いました。

そして私は第二にミッションだと思いました。ミッション。使命感。そしてそれに基づく理念。そして計画性。やはり川淵三郎さんにはさっき申し上げたような、スポーツを通して地域を活性化し、中央集権から地方分権の国造りをですね、スポーツの側から提案していくんだとそういうような崇高なる理念があった。ミッションがあった。

そして三つ目に私は、アクションだと思いました。行動力。どんなに熱いハート、燃えるような情熱があろうが、あるいは、ミッション。本当に理路整然とした、しっかりとした理念があろうが、行動力が伴わなかったら、ただ単に絵に描いた餅だと私は思う。アクション、行動力。この三つが揃ったときにですね、不可能と言われたことが可能になる。

まさしく今の日本のスポーツを見れば、サッカー一人勝ちですよ。とうとう、あの東京の御茶ノ水の、ある大手の家電メーカーからビルまで買い取ってジェイ・エフ・エー・ハウスという大きなサッカーだけの建物まで持つようになったわけでございます。これは、もちろん、その、下からの積み上げはありました。私も、そのブランドデザイン作りには協力させていただきましたが、しかし最後の最後で決断したのは川淵さんです。四の五の言ってもやっぱり最後はトップが決断できるかどうか、リスクを取って勝負できるかどうか、まさしくパッションとミッションとアクション。

これからはもう、年齢とか性別とかの時代ではなく、この三つの資質を持った人間のみこそが、閉塞状況を打開できる。あるいは、無から有を生み出すことが出来る。あるいは、不可能と言われたプロジェクトを成功させることが出来る。私はもうこの三つの資質に尽きる、とそう思っております。

そしてまさしく、伊藤達也さんは、そういう方でございます。日本のスポーツにとっては非常に
必要な方であります。今は、担当が違うかもしれませんが、私は伊藤先生には、本当は文部省の大臣かなんかになって頂いてですね、そっちの方でも頑張っていもらいたいと思っておるわけでございます。

さて最後に一つ楽しい話をさしていただきたいと思います。今年はアテネオリンピック。オリンピックイヤーでございます。さあ、日本何個、金メダルをとるか、おそらく、金メダルはたくさん取るでしょうが、ほとんどは女性ではないかなと思っております。シドニーオリンピックのときも実はメダルの個数は男性より女性の方が多いんですね。今年は、女性、もっと強いものですから、女子レスリングなんか四つ全部、持って行きますよ。ほとんどダブルスコアで女性が勝つんではないでしょうか。アテネの語源はアテーナという、女神だそうですね。戦術と智恵の女神。これはやっぱり女性にはかなわんなと。

今年のオリンピックは女性中心であるような気もするわけでございますが。今までの私の取材生活の中で、一番感動し、興奮したシーンを皆様にご紹介したいと思います。

私は二十年この仕事やっておりますが、後にも先にも、鳥肌が立つぐらい興奮したのはこれが最初で最後でございます。まさしく奇跡の金メダル。NHKの「プロジェクトX」でまだ放送はされてませんけども、そのうち放送されるんではないかと思っております。

舞台は1988年、ソウルオリンピック100メートル背泳ぎ決勝。鈴木大地選手が金メダルを取りました。皆様のまだ記憶にも新しいかもしれません。それが私がこれまで取材した中で一番感動し、興奮したシーンでございます。これだけ頼もしい日本人がおったと。日本人として本当に誇りを感じたのがこのシーンでございます。

ちょっと図に書いて皆様にご説明したいと思います。1988年ソウルオリンピック100メートル背泳ぎ決勝。鈴木大地は3コースに入りました。「大」と書いておきます。その隣、4コースに入ったのが、アメリカのバーコフという選手でございました。「バ」と書いておきます。そしてその隣、5コースに入ったのが、旧ソ連のポランスキィという選手でございました、「ポ」と書いておきます。競馬風に言いますと、『本命』は世界記録保持者のバーコフ選手でしょ。予選で世界記録をだしました。「◎(2重丸)」をつけておきます。そして、対抗が旧ソ連のポリアンスキィ選手であります。元世界記録保持者でございます。鈴木大地は、大サービスして穴馬かなと、黒三角をつけました。百人に一人しかチャンスはないぞ。と、まぁ銀メダルか、銅メダル。下手したら、メダルとれんかもしらんぞ、と。そいう観測がプールサイドでは流れておりま
した。

バーコフ選手は通常、バサロで30㍍ぐらいまで潜っておりました。ポリアンスキィも、大体30㍍くらいまで潜っておりました。バサロとは、水中をドルフィンキックで進む距離あるいは泳法のことを言います。当然、潜った方が、水の抵抗が少ないですから、タイムは速くなります。しかし、ただ潜ればいいと言うものではありません。鈴木大地は、日本人ということもあって、やや心肺機能が弱い。彼は、25㍍付近までしか潜ることができませんでした。当然、バサロで潜った方がタイムは速くなりますが、しかし、今度はあんまり潜りすぎますと、心肺機能に負担がかかります。心肺機能の負担がかかれば、後半のスタミナの減少にも結びつく。ただ潜ればいいというものではありません。

さて、スタートした。私たち日本のジャーナリストは、25㍍付近。鈴木大地の浮上ポイントを注目しておりました。ところが鈴木大地、25㍍付近、浮上してこないんです。いったいどうしたんだ。私の隣にいた記者が言いました。「えらいことになったぞ!これは。鈴木大地、おぼれちゃったぁ。」「溺れるわけないだろ、オリンピック選手だぞ。」と、私も言いましたけどね。本当に溺れたかと思った。すると彼は、バサロの距離を5㍍伸ばして、30㍍までもぐりました。予選でも、練習でもやったことのないこと。最後の最後に秘策のカードを切ったわけでございます。

私たちも驚きましたが、もっと驚いたのはお隣のバーコフ選手でしょうね。バーコフは、30㍍付近に浮上するわけです。鈴木大地は3コースですから、だいたい右前方に見えるんですよ。ところが右前方にいない。どこにいるんだ。真横にいたんですよ。こうれでもうバーコフは頭の中パニックになっちゃった。一体何が起きてるんだ。当然泳ぎが乱れますよ。そしてバーコフの泳ぎが乱れればお隣のポリアンスキーの泳ぎも乱れます。そりゃそうですね。ポリアンスキーはお隣のバーコフをターゲットに泳いでいるわけですから。バーコフあんたどうしちゃったのよって感じで二人揃って泳ぎが乱れた訳でございます。これによって実力差が逆転した。

まんまとこの作戦が図にあたった。これ鈴木大地いけるんじゃないかな。3人揃ってゴールした、実力差が逆転した。指先が水しぶきにかけされる。誰が勝ったかわからない。鈴木大地、これ勝ったかなぁ。ぱっと私電光掲示板見ました。するとしばらくして一番上にD.SUZUKI
JAPANと出ました。これはもう感動いたしました。興奮いたしました。こんなにたくましい日本人がおったのか。

それまで私いろんな大きな大会取材してきましたが大体日本人は予選や練習は強いんです。いっつも本番になると欧米人にプレッシャーかけられて負けるんですよ。そんなシーンばっかり見てきたもんですから、いや、たくましい日本人もおるもんだと。こいつは本物だと、感動いたしました。興奮いたしました。

でもレース終わってもっと驚いた。鈴木大地の爪を見せてもらった。すると鈴木大地はですね、爪を3,4cm伸ばしてましたよ。女性がマニキュアをぬるようなあんな爪でしたね。これが勝因だったんです。なぜかといいますと当時は、ゴール版が三枚の板で仕切られていました。その三枚の板の中に操作線というものがありまして、ぴたっとくっついて初めてゴールと認定されるんです。当たっただけではタッチが流れるといいまして、ゴールと認定されない場合もままある。それで鈴木大地は自分が勝つなら一ミリの勝負だということでですね、他の選手がこうやってゴールしたにもかかわらず鈴木大地は真後ろについたんです。爪の差で勝った。実際は第一間接くらいの差はあったかもしれませんが。私の目には爪の差で勝ったとそのように見えました。

そしてこの時に、永年の疑問が氷解しました。私この仕事20年やっておりますが、「なぜ人は勝つのか、なぜ人は負けるのか。」少々大げさに言いますがそれが研究課題だったわけであります。やっぱり最後は運かなぁ、努力と根性かなぁ、でも考えてみましたらオリンピック選手で努力もしたことありません、根性もありません、そんな選手はいるわけがない。じゃあ運、いや、運があるから、みんなここまでこれるんですよ。だいたい負けた人間に限って「あれは運がない」と言うんですよね。だいたい運ていうのは同量にあると思います。

ではその勝敗、まさにその一ミリを隔てる因子は何だろう。雨が降って来る。勝者の峰に流れるのか、あるいは敗北の谷に転落するのか、この一ミリを隔てる因子の正体は一体何なのか。

私この時に正にですね、電子顕微鏡で微生物を確認するようにですね、因子の正体を発見した気になりました。ではその一ミリを隔てる因子の正体は一体何なのか。最後の最後は執念だと思った。

執念。

鈴木大地は自分の爪が割れてもいい、指が折れてもいい、そう覚悟を決めて爪を伸ばし始めた段階で彼が勝利者だったんではないだろうか。神様は平等だなぁ、最後は一番勝ちたい人間に勝たせるんだなぁ。諦めなかった人間が最後は勝利するんだなあ。そのことをはっきりとこの場で私は確認いたしました。

そして実は、この奇跡の金メダルには、影のシナリオライターがいました。その男の名前は鈴木洋二といいます。水泳界屈指の指導者です。

陸上では小出良雄さんという高橋直子を育てた名伯楽がいますが、水泳界ではこの鈴木洋二、私は屈指の指導者だと思っています。この鈴木洋二が、決勝前に鈴木大地を呼んだんです。
「俺達が狙ってるのは金メダルだよな、他の色のメダルはいらんだろ」
「いりません。他の色のメダルだったらソウルの畔川に捨てて帰ります」と言ったんですよ、鈴木大地は。
「よしわかった。そこまで腹を決めてるんだったらバサロの距離を5メートル伸ばそう。そしてバーコフにプレッシャーをかけるんだ。バーコフは精神面が弱い。心理戦だ。マインドゲームだ。絶対にバサロの距離を5m伸ばしたら、バーコフは自ら崩れていく。必ず勝てる」
「よっしゃやりましょう」
それで、この計画が実行に移された訳でございます。

ではこの鈴木洋二と言う指導者は一体何者なのか。あまりポピュラーじゃございませんから、簡単にプロフィールをご紹介しますと、彼は新潟県の村上市というところの出身です。新潟県は京都に近いほうから上越、中越、下越となっております。この村上市は山形県に近いほうですから、下越でございます。彼は子供の頃から水泳が好きだった。将来はオリンピック選手になりたいと、そう思っていた。

しかしあまり泳ぎが上手くならなかったそうです。なぜかといいますと、およいでいる最中に、頭に鮭がぶつかったと言うんです。私は一体何を言ってるのかよくわからなかった。するとですね、村上市というところには見面川という川があって、鮭の放流をしているそうですね、そしてあんまり数が多いもんだからプールの中に鮭を飼っているそうですよ。それで人が泳いでると鮭とぶつかるそうですね。それで鮭がぶつかって泳ぎが上手くならなかったと言っていました。本
当かどうかちょっとわかりませんが。

彼は、自分がオリンピック選手になれないんだったら、この手でオリンピック選手を育ててみたい。指導者になりたい。自らの進路を変更しました。当然指導者になるためにはそういう体育会系の大学に進まなければなりません。

しかし、お父様が反対されたそうです。「おまえは新潟の生まれだから、新潟の学校へ行って新潟で就職しろ」と。そういったそうです。「たのむ親父、おれには夢がある。将来はこの手でオリンピック選手を育てたいんだ。そのためにはそういう専門の大学に行かなければならない。親父、おれに学費出してやってくれ。」「だめだ。」「親父頼む、俺に学費出してくれ。」「そこまで言うんだったらなお前、1つだけ条件がある。」お父さんこうおっしゃったそうです。「お前高校の教師になれ。そして新潟に戻ってきて、そこで選手たちを指導しろ。それを約束するんだったら学費出してやってもいいぞ。」お父さんおっしゃったそうです。「わかったおやじ、じゃあおれ将来は高校の教師になって新潟に戻るよ。」そうお父さんと約束して首都圏のある体育会系の大学に進みました。

しかし彼は学生時代、アルバイトをやりすぎました。民間のスイミングクラブで子供たちを教え始めたんです。すると子供たちのタイムがどんどんどんどんよくなっていく。教えがいがある。指導者冥利につきる。うれしくて仕方がない。それで彼は高校の教師になるという道を断念して、民間のスイミングクラブに勤めると、もう一回進路を変更したわけでございます。

さて、卒業を間近に控えたある日、新潟に戻りました。厳しいお父さんが、生まれて初めて、お酒をついでくれたそうです。洋二、ようがんばった。あの厳しい水泳部の指導によう耐えた。ど
うだ教職は取れたか、学校の先生になれそうか。親父、ほんとに申し訳ない。手をついてあやまったそうです。俺は、学校の先生になるのをやめたんだ。何?!お前約束違反じゃないか。お前教師になるというから学費出してやったんだぞ。じゃあお前一体何やる気だ。親父、俺はクラブに勤めることになった。クラブ?!お前、4年も学費出してやってクラブかこの親不孝者めが!!お父さん胸倉つかんで怒った。お父さんクラブと聞いて銀座とか赤坂とか、あっちを想像されたというんですねぇ。それで鈴木洋二さんお父さんに言い返したそうです。親父、同じ水商売じゃないか。やっと座布団一枚いただけそうになりました。笑い話はスポーツの世界に多々あるのですが。

私が言ってるのは笑い話じゃないんです。この鈴木洋二と言う男は勝負師です。転んでもただで起き上がるような男ではありません。私はレース前に彼を問い詰めたんです。洋二さん、あなたがただで負けるわけはない。絶対に何か最後は秘策を考えてるでしょ。鈴木洋二は何て言ったか。二宮さん、何てこというの。ここまできたらあとは運、人事を尽して天命を待つ。彼はこう言ったんです。そして、いや、実は苦労かけた新潟の親父が喜んでくれているだけでもう満足なんですよ。そして同じ水商売ですよはっはっはというエピソードを紹介してくれたんです。

そこまで話を聞きますと、私も人がいいもんですからそりゃそうだろうなぁ。ここまできたらあとは運だろうなぁ。人事を尽して天命を待つ、これはいい言葉だなぁ。と思って私原稿に書きました。人事を尽して天命を待つ。大嘘でした。こんなこと考えてた。

それで私今まで自分の書いてきたもんは間違いなんじゃないかと思いまして、東京に戻りまして、私今まで書いた色々な指導者論、いろいろなインタビューを読み起こしました。負けたリーダーには1つだけ共通点がありました。全員が全員そろって、人事を尽して天命を待つと言っていたんです。

じゃあ何で人事を尽して天命を待つと言う人間は弱いのか。負けるのか。これはやっぱり言葉はきれいですけどやっぱり無責任ですよ。人事を尽して天命を待つ。人事を尽すと言うのは手段ですよ。人事、手段さえ間違えていなければ、天命は勝手に降りてくる。こんな甘いもんではない。では、まさに日本最強コンビの鈴木大地と鈴木洋二、彼らのやったことを言葉にするならばどうなるのか。人事を尽して天命をもぎ取る。これが、負ける人間と勝つ人間の差ではないか。そう思った。負ける人間は人事を尽して天命を待っている。勝つ人間は人事を尽して爪に引っ掛けてでも天命をもぎ取りに行く。この執念。これがまさしく勝者と敗者を隔てる一枚の分水嶺の正体なのではないかと私はそのことを強く確認いたしました。

まぁそういう話をしますと、私最近よくバッシングされます。二宮さん、あんたねぇ、世の中ちゅうもんはねぇ、勝ちゃいいってもんじゃないんですよって私はよく言われる。確かにそりゃその通りです。失敗の数だけ成功はあります。負けた記憶が、その悔しさが、次の勝利のバネになることももちろんあります。

しかし、私この国で一番嫌いなのが、特にスポーツ界で一番嫌いな言葉が、敗者の美学って言葉なんです。敗者の美学。何かこの国は負けても、最後涙流したら許されるみたいなところあるんですね。よくがんばったよくがんばったと。冗談じゃない。同じイコールコンディションで勝負しているんですよ。私は、大切なのは敗者の美学ではなくて、勝者の実学ではないかと。勝つための創意工夫。これはもっと大切なのではないかと。そう思っております。

そして、僭越ではございますが、私は政治家ではございませんけれども、この国は1つ大きな間違いを犯していると思います。仕事柄世界中ほとんどの国を歩きましたが、この国が犯している間違い、これだけは直してもらいたい。それは、弱者と敗者の区別がついていないことだと思います。私はすべて欧米のグローバル・スタンダードがいいと思いません。

しかし少なくとも欧米では、弱者と敗者の区別はついています。例えば社会的な弱者、ハンディキャッパー、バリアフリーとかノーマライゼーションとか、素晴らしいものがありますよ。あるいは老人が車椅子でエレベーターから降りてきたらすぐに引くような、子供たちが車椅子を押したり引いたりするようなマインド面の教育もできております。でもこの国は、地下鉄に乗っても高校生、中学生がお化粧してパタパタやって、隣の老人が咳込んでいたり、携帯電話ぱちぱち鳴らしたり、とてもこの国は弱者に対して厳しい。欧米は弱者に対して優しいですね。

もっといいますと例えば欧米のスタジアムは、車椅子の方を連れていったら、ちゃんと雨で濡れないようになっているんです。日本は雨ざらしですよ。日本は弱者に対する配慮がないんじゃないか。弱者に優しいのが欧米。日本はやはり弱者に厳しい。

そのかわり欧米は敗者には厳しいと思います。スポーツの世界で負けて同情なんか一切しません。くやしかったらがんばってこい。同情じゃなくてチャンスを与えますよ。

日本はそうじゃない。敗者の美学とか言って敗者ばっかり美化してる。敗者にはとても優しい。例えば私は高校野球なんかよく取材に行くんですが、最近は腹立しくてしょうがない。何が腹立たしいか。最近は少子化の影響もあるんでしょうね。予選なんか20対0とか30対0とか平気でコールド負けするんですよ。ところが、PTAの人がすぐに下りていって、がんばったほんとよくがんばったと。どこがよく頑張ったんだ。悔しくないのか。泣いてる暇あったら練習しろよ。それが言えない。

非常に敗者に対して優しいですよ。その優しさは罪ですね。人を育てない。私はやっぱり弱者に対しては優しい、そして敗者に対しては厳しいと。悔しかったらがんばってみろ、同情はしないけどチャンスを与える。それによって今日の敗者が明日の勝者になる。逆に、油断してたら今日の勝者が明日の敗者になるんですよ。それがダイナミズムではないだろうか。それがたくましさではないだろうか。弱者には優しくて敗者には厳しい。それが本当に強くてたくましくてやさしい国なのではないだろうか。そして魅力のある国ではないだろうか。私はそう考えております。

そして私はこの鈴木大地と鈴木洋二の最強コンビに、勝負に勝つには3つのポイントがあるということを学びました。その3つとは何か。私は、勇気とアイディアと決断力だと思った。バサロの距離を5m伸ばす。この5mという絶妙のアイデア、まあ知恵といってもいいでしょう。そして俺達が狙っているのは金メダルだ、他の色のメダルはいらん、退路を絶つ、リスクをとる勇気、そしてそれを実行に移す決断力。これが揃った時にまさしく奇跡は起こります。不可能といわれたことが可能になる。まさしく強い日本人がここにいた。

そう言いますと、リスクを取りゃいいってもんじゃないって意見もあるでしょうが、鈴木洋二はリスクをしっかり計算してた。バーコフはバサロの距離が伸びれば絶対にびびる。マインドが弱い。チキンハートなんだ。まんまと図に当たった。ちゃんとリスクに対するマネージメントができている。すなわち、最悪の状況を想定して最善のカードを切れるかどうか。予選でバーコフが世界記録出したんです。普通なら諦めます。もうだめだ。水泳でタイムが1秒くらい差がついたら絶望です。

でもこの鈴木洋二という監督は、最悪の状況を想定して最善のカードを一枚握ってた。これがやっぱり勝つリーダーでしょうね。最悪の状況を想定して、最善のカードを切れるかどうか。物事
が上手くいってるときは誰がトップでもいいです。上手く行ってないときこそ、リーダーの出番なんだ。まさしく最悪の状況で最善のカードを切れるかどうか。これがリーダーの危機管理における一番の資質ではないだろうか、そう認識いたしました。

そしてさらに続けさせて頂くならば、私は企みと試みの重要性ということを学びました。企みと試み。企むというと、何かこの国はあの人は腹黒いとか魂胆があるとか、ろくな言われ方されないんですが、企むと言うことは大事なことだと思います。企み、これを英訳したらtacticsでしょ。それが戦略の領域までいったらstrategyでしょ。それをすぐに試みる、tacticsをtryする、tからtへの移行時間の短さ、これが強い組織、勝つ人間の条件ではないだろうか。

スピード感が命です。今日企んで、来週もう一回会議しましょう、来週ゆっくりやりましょう、これ賞味期限切れた牛乳と一緒ですよ。飲めやしない。鈴木洋二はすぐに企んだ。実行に移したの1時間後ですよ。企んですぐに試みる。このスピード感。これがこれからの勝つ組織、勝つ人間の条件なのではないかと強く認識いたしました。

最後にあと一点だけ付け加えさせていただくならば、勝負事においては、これは全ての勝負事に通じることですが、修羅場のユーモア、これが大事だと思いました。ユーモア、笑いですよね。大体人間ていうのは、追い込まれるとその人の本性がわかりますね。その人の値打ちとか器がはっきりわかりますね。だいたい人間ていうものは、追い込まれると、サッカーでいうとロスタイムに入る、野球だったら9回2アウト、だいたい怒るか、わめくか、だまるかしますよ。私なんか怒ったりしますから、リーダーとしての器はないのですが、女性だったら泣くということもある、これはやはり自分の気持ちをコントロールできていない、という証拠でしょう。

さて、その時に鈴木洋二は何と言ったか。予選でバーコフが世界記録を出した、もう100に1つも可能性がない。何と言ったかその時に。「同じ水商売ですよはっはっはっは」と笑ったんですよ。笑いって大事ですね。彼が笑った瞬間に私たちもつられて笑ったんですよ。わっはっはって私たちも笑った。笑ったら何か、不思議ですね、やれるんじゃないか、という気になってきた。胆力が座るといいましょうか、よし、やってやろう、という気になった。その笑いをエネルギーに変えて鈴木大地が金メダルを取りました。

修羅場のユーモア。人間は、追い込まれた時にどれだけ笑えるかどうか。どんなに凄腕のリーダーがいても、あるいは理論整然としたミッションがあっても、暗い組織だけは弱いですね。これはもう理屈じゃないですね。腹から笑える組織、やってやるぞ、酒でも飲んでよし次はやってやるぞ、こういう組織は強いですね。修羅場のユーモア、これを忘れてはいけないのではないか。これが、勝つために実は一番重要な、勝つための勝利の隠し味ではないだろうか。私はそのことを強く実感したわけであります。

あっという間にお時間がまいりました。今日は、スポーツを通しまして、短い時間ではございますが、リーダー論、そして組織論みたいなことまでお話させていただきました。というのも私は伊藤達也先生、本当にスポーツ界においては、いやそう言うと金融界においてはもっと必要だという方がいらっしゃるかもしれませんが、逆にいえばそれだけ将来を嘱望されている、あらゆるジャンルにおいて必要とされている方ではないかと思います。

今のJリーグの理念は、スポーツを通して幸せな国へ。これがJリーグの理念でございます。そして、もっと言いますと中央集権から地方分権への国づくりをスポーツを通じで実現すると、まさに小泉改革のテーマがJリーグの理念と合致しているわけであります。私はこれからも伊藤先生に色々な場で活躍し、またご相談にも乗って頂きたい。まさにそのスポーツの味方、スポーツの好きな方に悪い方はいませんし、もっといいますとスポーツが伊藤先生くらいですね、なんか先程お聞きしたらある名門校から高校時代はスカウトにきたということをお伺いしましたが、このくらいスポーツの上手い方に、仕事のできない方はいません。

私はこれからも伊藤先生に、微力ではございますが、私は力を尽させていただきたいと思います。そして伊藤先生には、私も力を借りたいと思っています。日本のスポーツのために、これからもスクラムを組んで頑張らせていただきたいと思います。みなさんも、これからも伊藤先生をどうぞよろしくお願いいたします。どうも皆様、長い間ご清聴ありがとうございました。